多田野数人について

1980年4月25日に誕生。子供の頃は相撲をやっていたが体が固いため股割りができなかった。
八千代松陰高等学校では県予選チーム打率.196ながら0.23と非常に安定したピッチングで甲子園に導くも初戦敗退。松坂世代の一人でもある。
立教大学時代は和田毅(現ホークス)、一場靖弘(現楽天)らと投げあい大学通算56試合で20勝16敗、防御率1.51、奪三振334の成績を残す
特に和田毅とは親交が深くつよぽんと呼ぶ仲でプロ入りと思われていた。
2002年、しかし真夏の夜の淫夢というゲイビデオに出演してしまいプロ入り寸前でスキャンダルとなりプロ入りが閉ざされた(ここで多田野の隠語としてTDNが使用されることになる)
後にTDNはアメリカへ渡米、クリーブランド・インディアンスとマイナー契約をする。
1Aからはじまったマイナーは3Aまで昇格し2004年にはメジャアッー!昇格。
しかしアメリカでもゲイビデオ出演の過去が伝えられ記者会見で
「大学時代に(そのような)ビデオに出たことがあり今はとても後悔しています。当時は若くお金が必要でした。たった一度の過ちであり二度と同じ間違いはしません」
「僕はゲイではありません。これだけははっきりと真実を伝えたかった」と説明した。
しかし他にも彼らが出演したと見られるゲイビデオがあり真実性が疑われている
この年1勝をあげる。
しかし2006年戦力外、別のチームで地道にマイナーで経験を積んでいく
2007年解雇しかしここで転機が訪れる。2007年大学、社会人ドラフトでなんと日ハムが1位で指名し注目を集める。
しかし2008年1月6日都内でランニング中に転倒し左手首を骨折をしねっとりリハビリを行い5月2日に一軍登録しその日の楽天戦で勝利投手となる。この年7勝7敗でシーズンを終える
TDNのプレイスタイルは特徴的なフォームから繰り出されるコントロール中心の球で打者を翻弄する。
特徴的なフォームは体が固いためから生まれたフォームであり大学時代は153km/hの速球派だったが日本球界では140km/hにも満たない遅球で打者を打ち取るスタイルである
彼の球はスライダー、ツーシーム、チェンジアップなど特にスライダーは鬼スライダーと呼ばれている
TDNは超スローボールを投げることがありアメリカ時代ではイーファスピッチと呼ばれアレックス・ロドリゲスに対し投げゴロにしとめたことがある
TDNは流れを変えるために投げるとのこと
これからの活躍が非常に期待される選手である